2021-06-04 第204回国会 衆議院 内閣委員会 第30号
実際やるとすれば、現在共学の医学部を男子のみ入学可能な医学部に変更することが現実的だと思いますが、ある年から男子のみの医学部に変更しようとすると考えた場合、そういった場合はどのような手続がいつまでに必要ですか。
実際やるとすれば、現在共学の医学部を男子のみ入学可能な医学部に変更することが現実的だと思いますが、ある年から男子のみの医学部に変更しようとすると考えた場合、そういった場合はどのような手続がいつまでに必要ですか。
女子大学の設置の要件についてでございますが、法令上、その要件は共学の大学と同様でございまして、大学設置基準等で一般的に求められている要件、これが課されているということでございまして、法令上、女子大学だからということで定められている要件があるわけではございません。
男子のみを対象とする大学につきましても、法令上、共学の大学と同様、大学設置基準等で一般的に求められている要件を満たすことで設置が可能でございます。
一九八〇年、その第一期生が入学した後、旧神戸商船大学が続き、現在では商船系の教育機関の全てが男女共学となっております。既に一般社会でも女性の就労を促す法制度が整えられているこの時代、女性船員は堂々と日本人船員の一翼を担っていると思いきや、いまだ数えるほどにしかすぎないのが現実です。
実数に合わせてとかバランスと言いますけれども、とはいえですよ、私立についてももう女子校ではなく共学化も進んでいるし、私学の関係者に話を聞いたところ、やっぱり私学が女子の受皿になっているという感覚は実態としてはないんだと。
ここは男女共学なんですよ。それで、今、男子の方が去年ちょっと多いのかな、生徒が若干。そういう子たちが、例えば、地元の、自分の附属高校だから奈良女子大に、本当だったら今度工学部ができるんだったら行きたい、学びたいと思う生徒さんだって。もちろん、女子大だから、ひょっとしたら最初からもうその道はないのかなと思っているかもしれないけれども。
必要であるとすれば、女子ならではの政策などがしっかり研究ができるような、そういう大学であるべきで、ほかに共学で同じ学部があるようなことを追求しても余り意味がないと思うんですね。
そして、この学校は、今は学校が女子中高から普通の中高に、共学に変わったということですが、当時、山陽女子中高としての地歴部は、環境省が開催をした全国ユース環境活動大会で優秀賞を受賞している学校です。
私が高校に行っていた頃は女子校だったんですけれども、今は中高一貫の男女共学になっている、そういう学校ですが、そのときに、受験生の方から、試験制度をくるくる変えないでほしいという非常に明快な貴重な意見を頂戴したんです。 確かに、より良い制度にしようと議論を重ねていっても、その意義が当事者に分かるように伝わらなければ十分とは言えないということなんだろうと思うんです。
○村上(史)委員 女性は工学系に少ない、それを選択される方が少ないというような御答弁でありましたけれども、そこは先入観を持たずに、先ほど申し上げましたように女性の活躍の場を広げるという側面もありますので、ぜひ男女共学の高校に編成を変えるということをお約束いただければなというふうに思いますが、お答えは結構でございます。 それで、私が平成三十年の三月二十三日に質問させていただきました。
そういう意味で、女性の活躍の場を広げるという意味においても、また人材を広く確保するという意味においても、この学校を男女共学にすべきではないかというふうに思うんですけれども、それに対する御見解はいかがでしょうか。
何で、沖縄の国際化を言うときに、その具体策が米軍基地への留学や基地の子供たちとの共学になってしまうのでしょうか。沖縄県が推進しているアジアへの留学や交流は政府は後押ししないんですか。
一つは、気仙沼向洋高校という、もともと男子校だったそうなんですが、この高校が共学になったので、後づけで家庭科教室が別棟に設置されていたそうなんです。ところが、津波、被災して、建て直すときに、原状回復、今は男女共学なんだから家庭科室を別棟にする必要はないんだけれども、別棟に建てなきゃいけないというようなこと。
私も同じ思いを持っておりまして、かつて宮城県が高校の再編をするときに、宮城県は男女別学の伝統校が多かったんですが、公立だし、学区も一つになるし、公立の高校はこれから共学化だろう、そういうことを県民の意向調査を踏まえてずっとやってきたんですが、男子校、女子校の出身の方は、母校の姿が変わってしまうということで大きな反対があって、それが知事選でかつて争点になったことがあります。
私が昔、宮城県にいたときに、公立の男子校、女子校を共学にして再編しようという議論があって、それを教育委員会がかなりの年数をかけた計画でやってきた。
○下村国務大臣 私も、宮城県で高校の別学を共学にするということで、それぞれの立場の人たちから協力してくれないかという話を随分受けたことがありました。それというのも、私、出身が群馬県で、群馬というのは、今でもほとんど男子校と女子校、普通高校は結構分かれているんです。
○谷岡郁子君 そこで、今日お配りいたしましたのは、本当に何十年かに一遍、私どもの学園で見直しをして来年から男女共学に大学もなるということで、至学館大学、至学館短期大学の教育の理念ということで、建学の精神から新たにバージョンアップしようではないかということで、図と、そしてそれに対する幼稚園、高校、大学それぞれその人間力というものを私たちがどのように感じて組み立てていくかということを考えました図でございます
国際的というのは、やはり日本人がともに勉強し、共存共学、そしていろいろなものを生み出し、それが沖縄県民、日本、世界に発信できるものを生み出していかなければならないというふうに私は考えております。 ですから、どうぞ開かれた研究所、大学院大学にしていただきたいということと、これは沖縄振興費なんです。
例えば、男女共学の学校もあれば、男子校、女子校もあれば、男女別学もあれば、宗教系の学校もあれば、いわゆるインディペンデントの学校もあると。様々な価値観がそこに用意をされているということですね。これはもちろん、建学の精神に基づくところが私は大きいと思います。 それから、ある学校は進学校と言われて、いわゆる大学進学に非常に力を入れる。
私、ひょっとしてと思って調べましたら、お茶の水女子大学附属学校、あそこですら共学なんですね。(発言する者あり)共学です。駒場については男子校ですね。 なぜ、教育に関する実験研究のステージが男子校でなければならないのか、お答えください。
男女共学につきましては、その普及状況からして削除いたしましたが、より基本となる男女平等を教育の目的及び理念の章に記述して、真の男女平等社会の実現を目指しているということであります。 第五は、教育行政についてであります。
男女共学については、その普及状況からして削除されることになりましたが、男女平等というのがこの教育の目標という第一章の方に書き込まれたことによりまして、より現行法よりも男女平等をしっかり推進していくんだと、そういうふうになるんだと、そういうことでよろしいですね。
そして、その後、共学ということがもう今完全に定着をしてきているわけですから、ここの男女の平等という、二条にこのことを書くことによって更に強くなったという御解釈で、別段私は何ら支障はないと思います。
別な観点からいいますと、特にもう低年齢から教育が必要だという話ですけれども、最近の私、新聞で拝見しますと、アメリカでは公立学校は男女共学をやめるというような記事が出ていましたけれども、私自身もそれを見て、ああ男女共学が今のいろんな弊害を生んでいるのかなと思って、それすごくいい考えじゃないかと思いますけれども、専門家の皆さん方がごらんになって、教育という問題、もちろん家庭教育とかいろんな学校の教育、性教育等
○狩野安君 性教育の面から考えて、男女共学のことに対しても先生方は教育が大事だとおっしゃっていますけれども、今の子、大変セックスのいろんなものが情報がはんらんしています。子供たちにもそういう情報がすごい手に入りやすくなってきていますので、もう異常な異性に対する関心が持ち始めているんですね。
○公述人(大島煦美子君) 私は、男女共学はあるべき姿だと思っております。いろんなところでお互いの違いを認め合いながらも、また判断基準を男だから女だからではなくて、能力、個性を認め合えるということは自分とは違う性と性が向かい合ってこそ育つ気持ち、知識、意識ですから、この男女共学の文言が外れても、それはもうしなくても大丈夫なんだよということで外されたのか、そこら辺りがとても問題なのではないかな。
今度の改正案で男女共学の規定、現行法ではありましたけれども、これが削除されたわけでございます。その代わり、第二条のところに男女平等の言わば徳目規定が入っているわけでございますが、いずれにいたしましても男女共学規定が削除されたということについていろいろ意見が出ています。大島委員はどういうふうにお考えでしょうか。
ただいま委員御指摘いただきましたように、現行の五条の男女共学に関しましては、この男女共学が我が国に浸透しておるということで、中央教育審議会におきましてもこの五条については削除することを御答申いただいておるところでございます。
また、男女のところは、男女共学を認めなければならないというのは、これは国家に対して男女の共学は認めなければならない。この男女共学の規定を削除しているんですね。なぜ削除しているのかというのが問題ですが。 今、伝統は決められないというような答弁がありました。だからこそ、この徳目で挙げられているものがあいまいではないか。